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History

 

 History

「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」という言葉は、1980年代半ばに閉店したラウタタロにあった人気カフェと、カフェ アアルトの誕生を言い表しているかのようです。 アルヴァ・アアルトによって設計されたラウタタロ(フィンランド語で「鉄の家」)は、ショップを含むオフィスビルとして1955年に完成しました。なかでも特徴的だった“大理石の庭”と呼ばれる吹き抜けのオープンスペースは、ショップとオフィススペースを調和させる役目を果たし、そこにあったカフェは長年ヘルシンキの憩いの場として親しまれていました。

 
 
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1980年代に入るとヘルシンキの町は徐々に国際化され、町のあちらこちらに新しいカフェが次々に生まれました。“大理石の庭”のカフェは次第に流行から外れていき、ラウタタロの経営も行き詰まっていきました。存続の危機にさらされたラウタタロを保護するため、フィンランド建築協会は1985年にラウタタロの永久保護の嘆願を市に提出しました。1991年になってようやくその嘆願が受け入れられることになりましたが、すでにカフェは経営悪化のため閉店されていました。 閉店後、カフェで使用されていたアアルトデザインの家具は競売にかけられることになり、ストックマン・デパートがすべてを買い取って、アルヴァ・アアルト財団に寄付しました。そして、ストックマンが同じくアアルト建築によるキルヤタロ(フィンランド語で「本の家」。1969年)の中にカフェをオープンすることになった時、財団は寄付された家具を使用する許可を与えました。ロイ・マンッタリによって設計されたカフェは、エリッサ・アアルト未亡人によってアアルトという名の使用を許可されました。アルネ・ヤコブセンによるアリンコチェアもインテリアのひとつになりました。 すべての準備が完了し、マイヤ・リーサ・シェーベルグが店主に選ばれ、1986年11月16日にカフェ アアルトはオープンしました。現在は彼女の息子、マルコ・サラシーノ(父親はイタリア人)がその経営を引き継ぎ現在にいたっています。